なんやかんやでもう6月になりました、お久しぶりの文字の世界、原点回帰というかなんというかやっぱり文字でなにかを伝えることがすきなんだなって自分自身よく思う、根暗な部分が燻ってるんだろうなきっと。
よくさ言葉に出して伝え切れないことや中々自分の想いを伝えられないことって多々あるよね。
あのときこう言っておけばよかった
あの時もしこの事を伝えられていたら
もしかしたら変わっていたのかもしれない。
特にそんなことを考えることが多かった
2023年前半戦。
仲が良かった友達が自殺してこの世を去りました
もしこうしてればいなくなることはなかったんかな?
もっとこう話していればもっと違った結末を迎えられていて 今もきっと変わらずにバカな話をお互いにできていたのかな?
自分が病んでるようなことばっかり言うから気にして悩んでても言い出しにくかったんかな…?
とか、なにもかも過ぎてしまったことを掘り返しては自問自答してしまって訳もなく変にイライラしたり悲しくなったりして、自分を苦しめたり傷つけたってなにも解決しないって分かってるのにさ。
頭では理解してるんだよね、でもきっとそれだけ認めたくなかったんだと思う、逃避ばっかりしてもなにも変わらなくてでも無情にも時間だけは過ぎて、人の心もうつろいやすいものだって言う通り、1週間経った頃には周りのみんなは話題のひとつにも出さなくなっていってた。
もっと近くにいた人の方が辛いし苦しいのもわかってるんだけど、もしあの時何か気遣えてたら違ったのかもって何度も思ってしまうのはきっと身勝手なエゴなんだろうね。
今思えばなんだかんだずっと何かある時に心配してくれたり、飲んだり遊び行ったりして最終的に気遣ってくれたりもしてた。周りの友達を集めてくれて、言い出しにくい自分の性格のことを読んでたのか、大勢で集まる機会作ってくれてた。
でも自分は人嫌いで、表沙汰は上手く付き合ってるけど裏では好き嫌いばっか言ってた。
そんなでも嫌な顔せずに付き合ってくれてた友達のひとりだった。なのに自分勝手に振り回しては都合のいい時だけ遊んで、相談して、久しぶりに会えば闇深いことばっか言うからたぶん言い出しにくかったんだろうな…あの時どういう心境だったのかはもう分からない。
でも逆の立場だったら言えてないと思うから最後まで気遣ってくれたこと、励ましてくれたこと ほんとにもう何も伝えようがないけれどほんとにありがとう ほんとにごめん。
自分の中でまだ整理できてないことがまだまだ多いけど、もっと大人になれるように、生きやすく過ごせるようにがんばんなきゃなって思う。
6月 夏はもうすぐそこまで来てる
2023年の後半戦はちゃんと向き合って色々報告できるように、精神的に落ち着いてもっと前向きに生きていけるようにしていきたいなっておもいました。